徒然日記

日々の何気ない事を徒然なるままに綴ってます。

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No.1 娘の「マネージャー宣言」と、父親の複雑な休日

「男子運動部のマネージャーになりたい」

春から高校生になる娘の口から、唐突に飛び出したその言葉。それがきっかけで、私は休日に車を片道1時間以上走らせ、その男子運動部が出場する試合会場へ連れて行くことになった。

思春期の娘ということもあり、車内には会話がない。静かな空間で、私の頭にはさまざまな想いが巡っていた。

保育園から中学卒業まで、運動会では毎年リレーの選手に選ばれ、女子運動部ではキャプテンまで務め上げた娘。休日は高校生に混ざって汗を流していた、あのバリバリの体育会系の娘が、なぜ今さらマネージャーなのだ。

会場に到着すると、そこは「祭りか」と思うほどの大賑わいだった。群衆をかき分けて観覧席にたどり着くと、明らかに「おっかけ」と思われる、メイクも服装もバッチリ決めたキラキラ女子たちが目に入る。

そういえば前日、娘が「まつ毛パーマをしたい」とおねだりしてきたっけ。
父親の私は1500円カットで我慢しているというのに……。気合満点のメイクで、まるで「ベルサイユのばら」の登場人物のようになった娘の横顔を、そっとチラ見する。

『……華(花)より男子か』

世の中には死ぬ気で頑張ってもレギュラーになれない子だってたくさんいる。
内心はすんごい複雑だったが、私は動揺を微塵も見せず、毅然とした態度でこう告げた。

「自分の人生なんだから、好きなことをしなさい」

娘の選択を応援しよう。そう心に決めた数日後――。

PS:女子運動部の先輩方から連日にわたる猛烈な勧誘(拉致?)を受け、「断り切れなかった……」と力なく報告してきた娘。やっぱり君は、コートの中がよく似合う。


No.2 いつもの日常と、あと3年のカウントダウン
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2026年07月20日

No.2 いつもの日常と、あと3年のカウントダウン

いつもの様に帰宅し、いつもの様に家族と食事をする。
そしていつもの様に、私の担当である風呂掃除と洗濯に取りかかろうとした、その時だった。

「家のカギ無くした」

中二病全開のけだるいトーンで、いつもの様に娘が言った。さらに「パパ探して」と、当たり前のようにつぶやく。

心の中で盛大に舌打ちをしつつも、いつもの様に家事を中断せざるを得ない。
「あそこ(ジャングル)には入りたくないなぁ……」と思いつつ、衣類と書籍とゴミが絶妙に散乱した娘の部屋へ突入する。

ベッドの下を懐中電灯で照らすと、ホコリまみれの謎の物体(?)たちがうごめいているように見え、思わず小さな悲鳴が漏れた。

結局夜の間には見つからず、翌朝、私のカギを娘に手渡した。「絶対に無くすなよ。心せよ!」と一喝して会社へ向かう。

そういえば、4月から高校生になる娘は「大学は県外に行きたい」とおねだりしている。
嗚呼、この嵐のような「いつもの日常」も、あと3年足らずで終わってしまうのか……。

(※なお、出社後に「カギ見つかった」とLINEが来ました。やれやれ)

【最近の我が家のミステリー(紛失物一覧)】

娘のUSJチケット(1回目)⇒ 食器棚(なぜ?)
娘のUSJチケット(2回目)⇒ 冷蔵庫(冷やしてどうする)
娘の塾カバン ⇒ ジャングル部屋
妻の車のスマートキー ⇒ 洗濯機(大惨事の一歩手前)
娘のカギ(1回目)⇒ 娘の財布の中(灯台下暗し)
娘のカギ(2回目)⇒ ジャングル部屋 [NEW!]

賑やかな日常に感謝しつつ、今日もカギの大切さを噛み締めています。


No.3 手作りクッキーの対価
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2026年07月20日

No.3 手作りクッキーの対価

ある休日の朝、リビングに爽やかな風が通り抜ける中、高校生になった娘が「パパ、コレあげる」と近づいてきた。

驚いた。どこで覚えたのかバッチリ施されたメイクに、カラーコンタクト。よそ行きの服に身を包んだ彼女は、悔しいがいつもよりずっと美人に見えた。

「いったい、どうしたんだい」

久しぶりに向こうから話しかけてくれた嬉しさと動揺が混ざり合う。しかし、手渡された「手作りクッキー」の重みを感じた瞬間、私の本能がアラートを鳴らした。過去の経験上、これには必ず“裏”がある。

「お小遣いちょうだい。友達と海に行くから♪」

娘は子供のように甘えた声で行き先を告げた。あごに人差し指をあて、口をとがらせ、極めつけにウインク。普段のけだるい態度からは想像もつかない、完璧に計算された「可愛いワタシ」を演出している。

「……で、いくら欲しいんだい?」

毎月決まったお小遣いでやりくりしている身としては、ここでの出費は痛手だ。心の中で激しい家族会議(葛藤)を開きつつも、父親のプライドを保つため、引きつりそうな笑顔で快諾する。

「2,000円♪」

心の中で思いきり仰向けにズッコけた。クッキー1枚に対する対価としては、あまりにも高額な請求である。財布を開き、野口英世を2枚つまみ出す私の指先は、心なしか微かに震えていた。

嗚呼。全く口をきいてくれない思春期に比べれば、こうして必要とされている(貢がされている)だけマシなのだろうか。
全国のお小遣い制お父さん、私たちの戦いはこれからも続きます。


No.4 譲り葉の朝
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2026年07月20日

No.4 譲り葉の朝

バタン、と重いドアの音が響いて、我が家の第一陣が出発する。

共働きの妻が早朝から戦場のように仕込んだ、昼と夜の弁当の残り香。
妻の車に文字通り「放り込まれて」いった小学生の息子の、まだ眠そうな気配だけが玄関に残っている。

静まり返った二階の寝室から、トントンと階段を下りる。
途中で娘の部屋のドアをノックして、「そろそろだよ」と声をかけるのが、私の朝の最初の仕事だ。

一階のLDKに足を踏み入れた瞬間、視界に飛び込んでくるのは、嵐のあとのようなキッチン。
山積みのフライパン、飛び散った水滴、容赦のない生ごみの気配。

「……はぁ」

こぼれ落ちたため息をかき消すように、キッチンの隅にある古いラジオのつまみを回す。
流れてくる誰かの声や音楽を、新聞の文字を追う代わりに、ただ右から左へと聞き流す。
冷たい水に手を浸し、黙々と皿を洗う。この静寂だけが、今の私に許された時間だ。

ひと通りの片付けを終え、洗面台に向かう。
鏡に映る冴えない顔にシェービングフォームを乗せ、カミソリをあてる。
お湯で一気に泡を洗い流そうと、両手で水をすくって顔をうずめた、その瞬間だった。

「パパ、かわって」

背後から、遠慮のない声。
次の瞬間には、私の大きな身体がドン、と横に弾き飛ばされていた。

……いや、待ってくれ。
こっちは今、まさに顔がずぶ濡れで、視界がゼロの状態で、なんなら耳の後ろまで水が滴っている真っ最中なんだけど!

猛烈な反論が喉まで出かかったけれど、鏡の前で既にヘアアイロンを温め始めている娘の背中を見て、私は言葉を飲み込んだ。
時計の針は、無情にも進んでいる。ここで10代の娘と朝の貴重な時間を潰すわけにはいかない。

濡れた顔をタオルのなかに押し込みながら、私はすごすごと戦場をあけ渡す。
ついこの間まで、「パパ、お顔洗って」って甘えていたはずの小さな背中は、いつの間にかずいぶんと大きくなっていた。

理不尽を怒るエネルギーを、そっと静かな家事の残りに切り替える。

大人になるって、きっと、こういうことだ。
誰かに場所を譲りながら、ちょっとだけ、小さく笑えるようになること。

足元で、ラジオから流れる軽快な音楽が、私の濡れたローファーの音と重なるように響いていた。


No.5 レジ前の絶望と、現代の参勤交代
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2026年07月20日

No.5 レジ前の絶望と、現代の参勤交代

先日、娘の激しすぎる忘れ物について赤裸々に書き殴ったばかりだが、実は妻も似たようなものだ。
しかし、彼女の場合は少しタチが悪い。

子どもたちが欲しいものがあって買い物へ行ったとき。ドライブがてら道の駅に寄ったとき。そして最も恐ろしいのは、旅行先の商店街や食堂での会計時だ。

「アラ?財布が無いワ……」

よりによって、支払いをするまさにその直前に発覚する。

独身時代から通帳、印鑑、クレジットカードのすべてを差し押さえられ、お小遣い制という名の経済制裁(?)を受けている身としては、この突発的な出費は致命傷に近い。

「ここは、僕が払おう」

だが、子どもたちの前でうろたえるわけにはいかない。父親の威厳を保つため、私は動揺を微塵も表に出さず、少し低めの声と紳士的な微笑みをたたえて財布から身銭を切る。

誤解のないように言っておくと、旅費や宿泊代といった大きな出費は、事前に妻がカードでスマートに決済してくれているのだ。決して妻に悪気はない、はずである。

なのに、レジの前で現金を支払う瞬間、私の脳裏にはなぜか「参勤交代」の四文字が浮かぶ。
江戸幕府が諸大名に大金を散財させ、財政を圧迫することで反抗する気力を奪ったという、あの恐ろしい統治システム。

現代の我が家で行われているのも、もしやこれと同じ手法なのだろうか……。


Mo.6 家族旅行記 侘び寂びを求めて
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2026年07月20日

No.6 家族旅行記 侘び寂びを求めて

「侘び寂びを感じたい。」


ある日、ふとそんな思いが胸をよぎった。


時計の針に追われるようなせわしない毎日を少しだけ離れ、歴史ある町をゆっくりと歩いてみたい。静かな寺院で風の音に耳を澄ませ、何百年もの時を超えて受け継がれてきた景色に心を預ける。


うん、そんな旅も悪くない。


北海道は飛行機がちょっと怖い。

九州は車で行くには遠すぎる。

ならば、列車に乗ってのんびり揺られていける古都・奈良がちょうどいいはずだ。


こうして今年の家族旅行は、法隆寺と東大寺を巡る「侘び寂びの旅」に決まった。


旅の計画は、もちろん私の担当だ。

「あなたが計画を立ててね」

妻からのその一言を、私はどこか誇らしい気持ちで引き受けた。


なに、心配はいらない。私には心強い味方がいるのだから。

その名も――ジェミニ先生。

列車の時刻からスムーズな乗り換え、徒歩ルートに観光の順序まで、完璧な日程表を作り上げてくれる優秀な相棒だ。

これで準備は万全。完璧な旅になるはずだった。


……そう、思っていたのだ。





新幹線に揺られながら、すっかり旅気分に浸っていた時のこと。

隣に座っていた息子が、思い出したようにポツリと言った。


「そういえば、今年の修学旅行、奈良なんだよね」


「……えっ?」

思わず聞き返す私。


「東大寺も行くよ」


初耳だった。

学校のことや子供の行事は、日頃からほとんど妻に任せきりにしていた私。まさか家族旅行と修学旅行の目的地が、ピンポイントで丸かぶりしているなんて夢にも思わなかったのだ。


「もっと早く言ってくれよ……」


ガックリと肩を落とす私を見て、妻と息子は顔を見合わせて苦笑いしている。どうやら、この重大な事実を知らなかったのは我が家で私一人だけだったらしい。


静かな古都で侘び寂びを噛みしめるはずだった旅は、出発早々、私だけが蚊帳の外に取り残されるという可笑しな始まりとなった。


それでも、車窓を流れていく景色をぼんやり眺めていると、不思議と心がほどけていくのを感じた。


千三百年の歴史が静かに息づく奈良。

格式高い法隆寺、そして大仏さまの待つ東大寺。

そして、なんだかんだ言っても愛おしい家族と過ごす時間。


この時の私は、まだ何も知らなかったのだ。


この旅で一番深く心に刻まれるのが、世界遺産の静寂でも大仏様の荘厳さでもなく――「ジョア」と「焼き鳥」と「アイス」の味になるということを。


No.7 家族旅行記 世界遺産よりジョア
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2026年07月20日

No.7 家族旅行記 世界遺産よりジョア

法隆寺駅へと降り立つ。

ホームへ一歩足を踏み出した瞬間から、どこか空気の密度が違うように感じられた。

最初の目的地は、世界最古の木造建築・法隆寺。

実際にその場に身を置いてみると、想像をはるかに超えるスケールにただただ圧倒されてしまう。

それは「お寺」というよりも、まるで一つの独立した歴史の町のようだった。

どこまでも広い境内に、重厚な歴史を纏った建物が整然と立ち並ぶ。千年以上もの時を超えてきた木造建築が、今も当たり前のようにそこに佇んでいるのだ。

写真や教科書だけでは決して伝わらない迫力と凛とした佇まい。

「うん、来てよかった」

心から素直にそう思えた。





続いて向かったのは、奈良の代名詞とも言える東大寺。

奈良公園へと近づくにつれ、人、人、そして人。

「今日は何か特別なイベントでもあるのかな?」

呑気にそう思っていたのだが、どうやらこれが今の奈良の日常風景らしい。

飛び交う言葉は外国語ばかりで、ふと目を閉じると、まるでどこか遠い海外の街へ旅に来たような錯覚すら覚える。

さすがは世界誇る観光地、世界遺産である。


そんな旅情に浸っていたのも束の間。

奈良名物の鹿せんべいを手にした、まさにその瞬間だった。


「ドン!」


背後から、お尻へ容赦のない強烈な体当たりが飛んでくる。

「痛っ!」

慌てて振り返ると、一頭の鹿が「早くそのせんべいをよこせ」と言わんばかりの強い眼差しで見つめていた。

どうやら奈良の鹿たちは、古都の礼儀よりも圧倒的に行動派らしい。


そこへ追い打ちをかけるように、息子が呆れ顔でつぶやく。

「……だから、今年修学旅行で東大寺来るんだってば」

「うっ……それは本当に申し訳なかった……」

返す言葉もない父親である。





気を取り直して、いよいよ東大寺の境内へ。

テレビで何度も目にしてきた大仏殿は、実際に目の前に立つと息をのむほどの大きさだった。

だが、不思議なことに、私がこの場所で一番深く感動したのは大仏様の大きさそのものではなかった。


広大な境内に、鹿のフンがほとんど落ちていないのだ。


あれほど無数の鹿が歩き回っている奈良公園のすぐ隣だというのに、境内は驚くほど清々しく保たれている。

千三百年続く世界遺産を、日々静かに守り続けている人々の行き届いた美意識と努力。そんな日常の小さな奇跡に、私は深く心を打たれていた。


……しかし、この日の奈良は過酷なほどの猛暑だった。


広大な境内を歩き続けた私の喉は、すでにカラカラの限界を迎えている。

自動販売機を見かけるたびに吸い寄せられ、水を買おうとするのだが、その度に妻から待ったがかかる。

「ホテルのラウンジに行けば、フリードリンクが飲めるんだから我慢して」

その言葉を信じ、私はひたすら固唾をのみ込んで耐え続けた。

「あと少しだ……ホテルまであと少し……」

まるで猛暑の砂漠をさまよう旅人のように、自分を励まし励まし歩き続ける。





そして、ようやくたどり着いたホテル。

無事にチェックインを済ませ、吸い込まれるようにラウンジへ案内された。

「……やっと、冷たい飲み物に逢える……」


感極まる私の手に、そっと差し出された一杯。


――ジョア。


そのキンキンに冷えた甘酸っぱいひとくちは、その時の私にとって、どんな最高級のヴィンテージワインよりもありがたく、五臓六腑に染み渡る極上の一杯だった。


……だが、この時の私はまだ知らなかったのだ。


本当の試練は、この日の夜、更なる空腹を抱えて彷徨う「夕食探し」から始まることを。


No.8 家族旅行記 商店街はどこ?
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2026年07月20日

No.8 家族旅行記 商店街はどこ?

冷えたジョアで奇跡的に生き返った私は、すっかり元気を取り戻していた。

さて、いよいよ旅の大きな楽しみである夕食の時間だ。

本来の計画では、我が家の頼れる相棒・ジェミニ先生がおすすめしてくれたホテル内のレストランへ向かう予定だった。

しかし、ここで女子チームから待ったがかかる。

「せっかく奈良に来たんだから、街を歩きながら雰囲気で決めようよ!」

異議なし、である。
旅先で夕暮れの街をのんびり散策しながら「どこに入ろうか」と迷う時間こそ、旅の醍醐味というものだ。

……そう、この時の私は呑気にそう思っていたのだ。



ホテルを一歩出た瞬間から、女子チームの攻勢が始まった。

「ねえ、商店街はどこ?」

「商店街はどっち?」

まるで山びこのように繰り返されるその問いかけ。

……まずい。かなりまずい。

実は私、奈良駅周辺の詳しい地理まで頭に入れていたわけではなかったのだ。
「まあ、大きな駅前なんだから歩けば商店街くらいすぐ見つかるだろう」
そんな軽い気持ちで引き受けてしまっていたのである。

しかし、ここで「実は知りません」と口にするわけにはいかない。
一家の父親として、そして今回の旅行計画担当者としての変な意地とプライドが邪魔をする。

私は心の中の冷や汗を必死に隠し、何事もなかったかのような顔で駅前を歩き始めた。
女子チームからの「商店街は?」というプレッシャーを、曖昧な笑顔で受け流しながら。



すると、駅前の交差点でふと異変に気づいた。

ある一角から、大勢の人が続々と駅の方へ向かって歩いてくるのだ。

「……!」

人の流れる方向には必ず理由がある。
私は祈るような心地で、その人波のルーツへと視線を向けた。


あった。商店街だ。


「神様はいた……!」
心の中で思わず激しいガッツポーズを決める。まさに危機一髪であった。

私はくるりと振り返り、あらかじめ知っていたかのような余裕の表情を浮かべた。

「ああ、商店街はこっちだよ。ちょっと位置を確認したかったんだ」

もちろん、そんな確認など1ミリもしていない。
だが幸いにも、この土壇場の演技を追求する者は誰もいなかった。助かった……。



夕暮れの奈良駅前商店街は、実に賑やかで魅力的だった。

お洒落なカフェに、香ばしい匂いを漂わせるたこ焼きやお好み焼き。
気取らないイタリアン、落ち着いた和食、スパイシーなインドカレー、食欲をそそる焼肉やステーキ。

色とりどりの看板を眺めながら歩くだけで、胸が躍る。

……しかし、女子チームの審査基準は想像以上に厳しかった。

「うーん、あれはちょっと違うかな」

「ここも今の気分じゃないかも」

「なんか……違うんだよね」

魅力的な店を見つけるたびに、容赦のない「不合格」の判定が下されていく。
旅先の食事選びとは、これほどまでに果てしない難問だったのだろうか。



そんな不合格ラッシュの中、唯一みんなの足がピタリと止まった場所があった。

「あ! ガチャガチャ専門店だ!」

吸い込まれるように店内へ消えていく女子チーム。

私はその隙を見逃さなかった。
「ちょっと見てくるね」と言い残し、吸い込まれるように隣のセブンイレブンへ滑り込む。


昼食代に、世界遺産の拝観料。
ポケットの中の財布は、いつの間にか驚くほど軽くなっていたのだ。

「お寺は現金しか使えない場所も多いしな」
「それに、明日だってまだ旅は続くんだから」

誰に言い訳するでもなく、もっともらしい理由を自分に言い聞かせながらATMで現金を補充する。

そう、旅に必要なのは風流な「侘び寂び」だけではない。
現実的な「現金」もまた、絶対に必要なのだ。



何事もなかったかのような顔で、ガチャガチャ専門店へと戻る。
実は私自身はガチャガチャにはさほど興味がない。けれど雰囲気を合わせようと、並んだカプセル商品を一つひとつ眺めながら、深くうなずいてみたりする。

その棚の片隅に、鹿をモチーフにしたなんとも言えない絶妙な表情の「ゆるキャラ」を見つけた。

「……これ、誰が買うんだろう」

心の中だけで、そっとつぶやく。
そんなくだらない疑問を抱く時間さえも、どこか愛おしい旅の思い出の一片になっていく。



現金を無事に補充し、お腹をすかせた私たちは、再び夕食を求めて夜の商店街へと歩き出す。


……この時の私は、まだ何も分かっていなかったのだ。


本当の難関は「何を食べるか」という選択ではなく、「家族の誰の意見を採用するか」という、仁義なき心理戦だということを。


No.9 家族旅行記 幸せって案外、安くつくもんだ
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2026年07月20日

No.9 家族旅行記 幸せって案外、安くつくもんだ

商店街を歩き回った結果、男子チームと女子チームの意見は、見事なまでに真っ二つに分かれた。


私と息子の希望は、珍しくぴったりと一致していた。

「まあ、ラーメンで十分だよな」
「王将でもガストでも、全然いいよね」

普段は反抗期真っ只中で、何かと私に素っ気ない態度をとる息子。
それなのに、この瞬間だけは固い絆で心が一つになっていた。
男子チームの省エネな意見の一致に、私は少しだけ嬉しくなっていたのだ。


……しかし、女子チームが首を縦に振るはずもなかった。

「えー、ラーメンは嫌」
「せっかくの旅行なのにチェーン店も嫌」

その意志は、固かった。
旅先だからこそ、その土地ならではの素敵なお店で食べたい。
その気持ちは、よく分かる。

……分かるのだが、頼むから男子チームの財布にも少しばかり優しくしてほしい。


結局、答えが出ないまま、私たちは重い足取りでホテル方面へと戻ることになった。



駅前の交差点まで差し掛かった時のことだ。
娘がふと、大きな看板を見上げた。

「あ! 鳥貴族がある!」

思わず私は突っ込んでしまった。
「いや、それ思いっきりチェーン店だろ!」

すると娘は、どこまでも真顔で答える。
「だって、私行ったことないもん」

なるほど。そういう理屈か。
ようやく息子と心が通じ合ったと思ったら、今度は娘との距離が少し遠ざかった気がした。


ところが、その鳥貴族は予約で超満員。
まだ午後五時半だというのに、入れる気配すらない人気ぶりだった。

奈良の人たちは、そんなに焼き鳥が好きなのだろうか。
……いや、海外からの観光客も多いから、その影響かもしれない。



そんなことを考えながら駅ビルへ戻ると、今度はお惣菜売り場に長蛇の列ができていた。
並んでいるのは、どう見ても地元の人々。
その視線の先にあるのは――そう、やっぱり焼き鳥だ。

「ああ、奈良の人って本当に焼き鳥が好きなんだ……」

今回の旅で得た、もっともどうでもいい新発見であった。


私はすさかさず提案してみる。
「この美味しそうな焼き鳥を買って、ホテルの部屋でゆっくり食べようよ」

しかし、その提案はあっさりと却下された。
「せっかく旅行に来たんだから、お店で食べたいの!」

まあ、ごもっともな意見である。
私は黙って深くうなずくしかなかった。



駅ビルを歩いていると、一軒の落ち着いたうどん屋が目に留まった。
「助かった……!」
正直、心からそう思った。
お小遣い制の私にとって、涙が出るほどありがたい価格帯である。

「お、いい店があるじゃないか」
できるだけ自然な仕草で、家族をその店へ誘導しようと試みる。

……しかし。
女子チームの足がそこに止まることはなかった。

彼女たちの視線が吸い寄せられていたのは、一軒の居酒屋。
そして、その店のおすすめ看板に書かれていたのは――やっぱり焼き鳥。

どうやら彼女たちは、奈良の焼き鳥文化の魔力にすっかり魅了されてしまったらしい。



私は静かに腹をくくった。

「好きなもの、どんどん頼んでいいからね」

大人の余裕たっぷりな父親を演じてみる。
けれど、料理が一品運ばれてくるたびに、心の中ではお財布が悲鳴を上げていた。

私はお酒が飲めない。
それなのに、なぜか格好をつけてレモンチューハイを注文した。

グラスに口をつける。
少し離して、息を吐く。

「……ぷはぁっ」

お酒が飲める男を演じてみる。
今思えば、一体誰に向けたパフォーマンスだったのだろう。

そして残酷なことに、テーブルのタッチパネルには親切にも「現在の合計金額」がリアルタイムで表示されていた。
……親切すぎるのも、時に罪である。


やがて、最初に箸が止まったのは妻だった。
続いて、娘。

「あー、お腹いっぱい!」

その一言を聞いた時、心底ホッとしている自分と、なんだか少しだけ切なくなっている自分がいた。


しばらくして女子チームは、「ちょっと下のスーパー寄ってくるね」と言って席を立った。
私は息子と二人、残った会計を静かに済ませ、ホテルへと戻った。



料理は確かに美味しかったはずだ。
けれど正直なところ、味はあまり覚えていない。
終始、頭の中で電卓を叩くのに必死だったからだ。


ホテルの部屋に着き、駅ビルのスーパーで息子と買った1個のアイスを口に運ぶ。

冷たくて甘い、少し溶けかけたアイス。
それが、歩き疲れて熱を持った身体と、寒風が吹き荒れて凍りつきかけていた財布の心を、優しく溶かしていくようだった。


「ふぅ……今日はこれで十分だな」


しみじみとそう思った、まさにその時だった。

ドアが開き、女子チームが帰ってきた。
手に下げた紙袋がガサゴソと音を立てる。
そして部屋の中にふわりと漂う、たまらなく香ばしい匂い。

袋の中から現れたのは――

さっき駅ビルのお惣菜屋さんで見かけた、あの焼き鳥だった。


「……ふふっ」

私は思わず吹き出してしまった。

あれほど「ホテルで食べるのは嫌だ」と言っていたのに。
結局、彼女たちが一番惹かれていたのは、あのお惣菜屋さんの焼き鳥だったのだ。


部屋いっぱいに広がる、香ばしいタレの香り。
「おいしいね」と笑顔で頬張る家族の姿。


その温かい光景をぼんやりと眺めながら、私は思った。


――幸せって、案外安くつくもんだな。


予定通りにいかなかった旅プラン。
修学旅行と被っていた東大寺。
鹿にお尻を叩かれた痛み。
砂漠で水を求めるように飲み干したジョア。
そして、部屋でみんなで突っついた焼き鳥と、甘いアイス。


きっと何年か経った頃、これら全部をひっくるめて、「あの旅行、本当に楽しかったよね」と笑い合いながら話すのだろう。


窓の外に広がる古都の静かな夜を感じながら、私は明日の旅に備えて、そっと布団へ潜り込んだ。


No.10 家族旅行記 意識高い系の朝とカラコンの試練
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2026年07月20日

No.10 家族旅行記 意識高い系の朝とカラコンの試練

初日の夜、私はベッドに横になった瞬間に泥のように眠りに落ちた。

寺院でのカード不可による「お小遣い直撃事件」の疲れは凄まじかったが、そのおかげで二日目の朝は実にすがすがしい目覚めとなった。



さて、二日目の朝食である。

私と息子は、ホテル自慢の豪華な朝食バイキングを心から楽しみにしていた。
ホテルのロビーを通ると、ガラス越しにおしゃれに並べられた料理たちが眩しく輝いている。

……しかし、女子チームの鶴の一声でその夢は儚く散った。

「朝食は奈良駅のスタバに行きたい!」

通り過ぎるバイキング会場を未練がましく見つめる息子と私。
「……今度、二人だけで来ような」
男同士の静かな友情を確認すると、反抗期の息子は心なしか素直にうなずいた。



ホテルから歩いて2分ほど。
奈良駅の観光案内所の中にあるスターバックスへと到着する。

昨夜、あれほど「旅行先でチェーン店に入るのは嫌!」と男子チームの「餃子の王将」や「ガスト」の提案を即却下した女子チーム。
スタバだって立派なチェーン店ではないのか?

……いや、彼女たちにとっては「日頃行かない特別な空間」という魔法がかかっているのだろう。私はそう無理やり自分を納得させた。



店内は、なんともおしゃれな空間だ。
心地よい音楽が流れ、パソコンを開いた「意識高い系」の人々が佇んでいる。
我が地元・山口のジョイフルを愛する私とは、まさに正反対の世界。正直、居心地が悪い。

「なぜ人は、カフェでおしゃれに着飾って勉強や読書をするのだろう……」
そんな哲学的な疑問が浮かぶが、悩んでいる場合ではない。

ガラスケースに並ぶドーナツやサンドイッチの値段を見て、私は思わず生唾を呑み込んだ。
……いつものジョイフルのランチより高い。
家族四人分、ゴクリと重い生唾の音が重なった気がした。


「ご注文はお決まりですか?」
朝日のように眩しい笑顔の店員さんが問いかけてくる。

「ブラックで」
「サイズはいかがなさいますか?」

何やら呪文のようなカタカナを囁かれたが、動揺を隠して即答した。
「一番小さいやつで」
いつも利用していますよ、という平然とした顔を作るのが田舎もののプライドである。

注文を終え、「好きなものを選びなさい」と家族に告げる。
幸いにもここはクレジットカードが使えた。旅が始まって以来、初めて家計(カード)から食費が支給されたのだ。感動で心が震えた。



出来リーマンの座る大きなテーブルへと同席させてもらう。
トレーの上に並んだ注文を見ると、見事なまでに性格が出ていて面白い。

娘は高級感あふれるドリンクと惣菜パン。
妻はドリンクなしの、質素なドーナツ。
息子は安めのドリンクに、質素なドーナツ。
そして私は、ブラックコーヒーとサンドイッチ。

注文に予想以上のカップのデカさ(アメリカサイズなのか?)に驚きつつも、私は目をつむり、コーヒーを味わうフリをしてみた。
店内のおしゃれな音楽に耳を澄ませ、静寂という贅沢な時間を過ごす。
そう、ここは客を選ぶ店。私もまた、この空間に溶け込んでいるのだ――。


「……パパ、カラーコンタクトが無い」


優雅な朝の静寂は、娘の一言であっけなく崩れ去った。


「カラコンが無いと、どこにも行けん」

今回の旅で、娘からかけられた初めての言葉がそれだった。

そういえば一ヶ月前、我が地元の近くに「ドン・キホーテ」がオープンした時のことを思い出す。
人口の少ない田舎町にあのドンキができるとあって、ローカルニュースでは「開店前に700人の行列!」と大々的に報じられたものだ。なんて平和な街だろう。

そのドンキで妻と娘が苦労して予約し、平日の仕事合間にわざわざ受け取りに行ったのが、件のカラコンだったはずだ。

昭和の商店街のように雑多で迷子になりそうな店内で手に入れた、あの労力のかかったカラコン。
それが……使い捨てで、しかも今無いという。


「分かった。パパに任せておけ」


スタバで整えた心のおかげか、私は平静を装い、快諾した。
昨夜の散策で見かけたドラッグストアの存在を思い出したからだ。



妻と息子はチェックアウトまでホテルに戻り、私と娘は駅前のドラッグストアへ向かった。

……が、シャッターは硬く閉ざされていた。開店まであと三十分。

「パパ、暑い」
そう言い残し、娘は涼しい観光案内所(スタバの場所)へと去っていった。


ひとり残された私は、時間を無駄にしないよう駅周辺を散策する。
予定通りにはいかない。旅とはまさに生き物なのだ。

やがて開店時間を迎え、娘と合流して店内へ。
最近メガネデビューしたばかりの私にとって、コンタクトの値段は未知の世界だった。

値段を見て思わず息を呑む。
「一回買ったら、どれくらい持つの?」
「え? 使い捨てよ」

思わず声が出た。おしゃれとは、なんと金がかかるものなのか。

「メガネじゃ駄目なのかい?」
「じゃあ、どこにも行かない」

気まずい空気が流れる。スタバで精神を統一していなければ耐えられない威圧感だ。

すると、店員さんが申し訳なさそうにやってきた。
「すみません、当店ではカラーコンタクトのお取り扱いはなくて……」


その言葉を聞いた瞬間、私の心はふわりと軽くなった。


こうしてカラコンは諦めざるを得なくなり、私たちの旅は、次なる舞台・大阪へと進むこと(正確にはまだ奈良まちが待っているのだが)になるのだった。


No.11 家族旅行記 奈良まちの迷走と息子の優しさ
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2026年07月20日

No.11 家族旅行記 奈良まちの迷走と息子の優しさ


カラコン騒動をなんとか乗り越え、いよいよ二日目のメインイベント・買い出し&散策ツアーへ出発だ。

初日に「侘び寂び」の世界観を存分に(?)味わったので、二日目は女子チームの要望に応えてお買い物中心のスケジュールとなっている。

もちろん、今回の旅の計画担当は私だ。
頼れる相棒・ジェミニ先生が提案してくれた「奈良・大阪お買い物ツアー」は、バスや電車の時刻表から徒歩ルートまで完璧に網羅された、タイムスケジュール付きの安心プランである。

奈良駅の5番乗り場から、風情ある町並みが広がる「ならまち」を目指す。
古都の情緒を味わいつつのウィンドショッピング。完璧な計画のはずだった。


……しかし、ジェミニ先生の完璧なプランは、開始早々に頓挫する。


女子チームは、ジェミニ先生が厳選してくれた「ならまち」のおすすめスポットや人気のおしゃれ店に、驚くほど興味を示さなかったのだ。

華麗にスルーされていく世界遺産の寺院や名所たち。
立ち尽くす私。



するとここで、奇跡が起きた。
普段は反抗期で何かと険悪なはずの息子が、うなだれる私を不憫に思ったのか、ジェミニ先生のプランにわざとらしく同調してくれたのだ。

「あ、ここも良さそうだよね!」

息子の優しさに思わず目頭が熱くなり、私はそっと目をこすった。
……が、慣れない度の薄いメガネの上からゴシゴシとこすってしまい、誤魔化すために思わず下手くそな口笛を吹いた。
男の不器用な情けなさが、奈良の街に虚しく響く。



女子チームに誘導されるまま辿り着いたのは、「ならまち」に隣接する商店街だった。

昨夜彷徨った駅前の広くて洗練された商店街とは違い、どこか地方の昭和を感じさせる狭くて古い商店街。
……だが、人出が凄まじい。

「今日、何かお祭りでもあってるのか?」
思わずジェミニ先生に問いかけたくなったが、どうやらこれが通常運転らしい。

初日の「外国人と鹿とフンでごった返す奈良公園」に続き、二日目は「大混雑の古風な商店街」。
「侘び寂び」を求めてやってきた奈良のイメージが、音を立てて崩れ去っていく。



やがてお昼時となり、昼食の場所を決めることになった。
決断を下したのは、息子の一声だった。

私の提案が通った試しなど一度もないので、我が家のヒエラルキー(序列)を再確認しつつも、私は心の中で息子に深く感謝した。

群衆をかき分けた先で見つけたのは、どこか懐かしい雰囲気の漂う、食堂のような喫茶店。
メニューとそこに書かれた価格帯を見て、私は再び息子の配慮に目頭が熱くなった。
……またしても、お父さんのお財布に気を遣わせてしまったらしい。



運ばれてきた料理も、それぞれの性格がそのまま表れていた。

妻は、一番リーズナブルな「コロッケ定食」。
娘は、「ご飯の気分じゃない」と頼んだ豪華な「高級パフェ」。
息子は、気を遣って選んでくれた「安いハンバーグ定食」。
そして私は、ちょっとだけ背伸びをした「ピラフハンバーグ定食」。


一口食べると――正直、ものすごく美味しかった。


昨夜、商店街を彷徨ったあげくに辿り着いた居酒屋で、飲めない酒を飲むフリをしながら食べた高額な料理よりも、ずっとずっと喉の通りが良かった。

ふと、向かいに座る息子と目が合う。
息子は何も言わず、黙々とハンバーグを口に運んでいた。



今回の旅行では、当初目指していた「侘び寂び」はついに得られなかった。

けれど、不器用ながらも自分を気遣ってくれる息子との絆という、もっとずっと大切で温かいものを手に入れた気がした。


お腹を満たし、家族みんながウィンドショッピングと長距離の散策を十分に満喫したところで、奈良に別れを告げる。

さあ、いよいよ旅の最終舞台・大阪へ向かう時間だ。


No.12 家族旅行記 大阪・熱帯の人工芝と難民たち
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2026年07月20日

No.12 家族旅行記 大阪・熱帯の人工芝と難民たち


奈良の混雑を抜け出し、いよいよ旅の最終舞台・大阪へと足を踏み入れた。

……しかし、ここでも「予定は未定」という旅の洗礼を受けることになる。

元々、人混みが大の苦手な私。
そのため相棒のジェミニ先生には、「大阪市内での大移動は避け、帰りの新幹線を待つ間に新大阪駅の駅ビルでゆったりお土産(我が家の本命・551の肉まん!)を吟味する」という、落ち着いた快適プランを提案してもらっていたのだ。

ところが――

「買い物は、大阪(梅田)でします!」

我が家の絶対権力者・女子チームの鶴の一声により、ジェミニ先生の平和なプランは露と消えた。



案内されたのは、毎日がお祭りのような奈良の商店街の比ではない、まさにパニック状態の超絶大混雑ゾーン。
圧倒的な人波の中に、私と息子はポイと投げ出された。


「ママが良いー」
あどけなさの残る息子が、女子チームの買い物についていこうとする。

「……男子が女子の買い物に行っても、退屈なだけだぞ?」
私は本当の理由――「女子チームから荷物と息子のダブルお守りを押し付けられた」という過酷な現実を隠し、オブラートに包んで息子を引き留めた。

「まあ、なんとかなるさ」

男二人、楽観的に笑い合ってみたものの、その考えはすぐに「絶望」へと変わることになる。



この猛暑の中、とりあえず冷房の効いた喫茶店で涼しく時間を潰そうと考えた。
……どこも満員。行列。

では、クーラーの効いたフリースペースはどうか?
……どこも満員。立っている隙間すらない。

駅ビルの中をグルグルと彷徨うが、座れる場所はおろか、息をつく場所すら見つからない。
「どこにも休憩するところがないじゃん!」
ついに息子の不満が爆発する。

「新大阪でゆったり過ごそう」というジェミニ先生の提案を突っぱねた自分(というか女子チーム)の選択を、私は心の底から後悔した。



彷徨い続けた挙句、辿り着いたのは駅ビル5階から駅へと続く連絡通路だった。

そこには人工芝が敷かれており、一見すると憩いの広場のように見える。
……しかし、この日の猛暑である。まるで熱帯のジャングルに放り出されたかのように、息苦しい熱気が充満していた。

涼と休息を求めて辿り着いたその場所で、大量の人々が地べたに力尽きたように座り込んでいるのを見た瞬間、私は自分の過去の発言を猛省した。

「駅ビルに涼しい喫茶店なんていくらでもあるのに、なんであんなところで地べたに座ってるんだろ?」
駅から駅ビルへ向かう途中、そんな風に見下していた自分を、いま拳で殴り倒したい。

ここにあるのは優雅な休憩などではない。「生存をかけた避難」なのだ。



行き場を失った私と息子もまた、熱帯の気候を完璧に再現したその人工芝の上にへたり込んだ。

無言のまま、ただただ汗と時間がダラダラと流れていく。
まわりの人々をそっと見渡す。みんな仲間だ。言葉は交わさずとも、「暑い」「動きたくない」という心の声が響き合っているのを感じた。


その時、私のスマホが鳴った。


「買い物疲れたー。もう帰りたい」


我が家のヒエラルキーの頂点に立つ、娘からのコールである。

その一言で、膠着していた戦局が一気に動き出した。

呆然と汗だくになり、地べたにへたり込んでいた息子の瞳に、再び希望の光が宿る。

(……同胞(ひなんみん)たちよ、お先に失礼する)

私は心の中で人工芝の仲間たちに静かな別れの挨拶を告げた。

汗を拭い、立ち上がる。
さあ、いよいよ我が家の旅は、最後の怒涛のフィナーレ――「551の肉まんが待つ新大阪」へと向かうのだった。


No.13 家族旅行記 幻の肉まんと、手に入れたもの
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2026年07月20日

No.13 家族旅行記 幻の肉まんと、手に入れたもの


娘の「帰りたい」の一言で、猛暑の人工芝から救出された私たち。

……しかし、ホッとしたのも束の間、最後の怒涛の試練が待ち受けていた。



本当は、新大阪発17時の新幹線でゆったり帰る予定だったのだ。
妻が事前に指定席を予約し、クレジットカードで決済も済ませてある。

だが、我が家の頂点に立つ娘の「疲れたから今すぐ帰る」という気だるげな宣言により、急遽スケジュールを前倒しして帰宅することになった。

時短帰宅の代償は大きい。
「事前に払った指定席券を捨て、自由席で帰る」ということだ。

2時間ゆったり座って帰れるはずだった平和な旅が、一瞬にして「お金を払って長時間立ちっぱなしに耐えるガマン大会」へと変貌した。



新大阪駅へ到着し、新山口へ止まる新幹線を必死に探す。
ない。止まらない。いや、極端に本数が少ないのだ。

「あった! 何時だ!?」
「15時10分!」
「今、何時だ!?」
「15時!!」

あと10分しかない。
自由席だ、すぐにホームへ並ばないと座れない!



思い返せば、大阪から新大阪へ乗り換える時、娘がダラダラと歩いたせいで目の前で発車してしまった快速電車が悔やまれる。

さらに、構内アナウンスが虚しく響く。
『ただいま、ダイヤが大幅に乱れております――』

悪い時には悪いことが重なるものだ。
結局、我が家の旅行の「裏のメイン目的地」であった【551の肉まん】を買う時間など、微塵もなかった。



数少ない「新山口に止まる新幹線」が、滑り込むようにホームへ突入してくる。
ふと後ろを振り返ると、自由席の列は恐ろしいほどの大行列になっていた。


激しい争奪戦の末――奇跡的に、家族全員がバラバラではあるが座席を確保することができた。


さっきまで熱風の吹き荒れる人工芝の上で、ただただ汗を流していたのだ。
少し硬いシートではあるけれど、座れること。そして冷房がキンキンに効いた空間にいられること。
ただただ、それだけのことなのに心から感謝した。



新幹線が静かに走り出す。
車窓の風景を眺めながら、私はこの二日間の旅を振り返っていた。


「古都の風情と伝統文化に触れる、落ち着いた侘び寂びの旅」

そんな格調高いテーマを掲げて山口を出発したはずだった。

しかし蓋を開けてみれば、神社仏閣の拝観料によるお小遣い直撃、外国人観光客と鹿のフンの大群、スタバでの呪文のような注文、カラコン紛失騒動、買い物ツアーでの置き去り、そして猛暑の人工芝での避難民生活……。

結局、この旅で「侘び寂び」はカケラも得られなかった。
得られたものといえば、私の財布の劇的なダイエット成功くらいのものだ。
楽しみにしていた551の肉まんは、心の中の思い出として味わうことになった。


客観的に見れば、何の成果もなかった旅かもしれない。


けれど、新幹線のシートで隣に座る息子の寝顔を見ながら、私はふと満足気なため息をついた。

普段は反抗期で気まずい息子が、困り果てた父親を気遣ってメニューを選んでくれたこと。
女子チームの我がままに振り回されながら、男同士で肩を並べて耐え抜いたこと。
思い通りにいかないハプニングの連続に、家族みんなで汗をかき、困り顔をし、最後には疲れ果てて同じ冷房に感謝したこと。


「……まあ、悪くない旅だったな」


新山口駅へ向かう揺れの中で、私はそっと目を閉じた。

手に入らなかった「侘び寂び」の代わりに、私の手元には、泥臭くも温かい「家族の思い出」が、ズシリと重く残っていた。

― 家族旅行記・完 ―

2026年07月20日