No.7 家族旅行記 世界遺産よりジョア
法隆寺駅へと降り立つ。
ホームへ一歩足を踏み出した瞬間から、どこか空気の密度が違うように感じられた。
最初の目的地は、世界最古の木造建築・法隆寺。
実際にその場に身を置いてみると、想像をはるかに超えるスケールにただただ圧倒されてしまう。
それは「お寺」というよりも、まるで一つの独立した歴史の町のようだった。
どこまでも広い境内に、重厚な歴史を纏った建物が整然と立ち並ぶ。千年以上もの時を超えてきた木造建築が、今も当たり前のようにそこに佇んでいるのだ。
写真や教科書だけでは決して伝わらない迫力と凛とした佇まい。
「うん、来てよかった」
心から素直にそう思えた。
◇
続いて向かったのは、奈良の代名詞とも言える東大寺。
奈良公園へと近づくにつれ、人、人、そして人。
「今日は何か特別なイベントでもあるのかな?」
呑気にそう思っていたのだが、どうやらこれが今の奈良の日常風景らしい。
飛び交う言葉は外国語ばかりで、ふと目を閉じると、まるでどこか遠い海外の街へ旅に来たような錯覚すら覚える。
さすがは世界誇る観光地、世界遺産である。
そんな旅情に浸っていたのも束の間。
奈良名物の鹿せんべいを手にした、まさにその瞬間だった。
「ドン!」
背後から、お尻へ容赦のない強烈な体当たりが飛んでくる。
「痛っ!」
慌てて振り返ると、一頭の鹿が「早くそのせんべいをよこせ」と言わんばかりの強い眼差しで見つめていた。
どうやら奈良の鹿たちは、古都の礼儀よりも圧倒的に行動派らしい。
そこへ追い打ちをかけるように、息子が呆れ顔でつぶやく。
「……だから、今年修学旅行で東大寺来るんだってば」
「うっ……それは本当に申し訳なかった……」
返す言葉もない父親である。
◇
気を取り直して、いよいよ東大寺の境内へ。
テレビで何度も目にしてきた大仏殿は、実際に目の前に立つと息をのむほどの大きさだった。
だが、不思議なことに、私がこの場所で一番深く感動したのは大仏様の大きさそのものではなかった。
広大な境内に、鹿のフンがほとんど落ちていないのだ。
あれほど無数の鹿が歩き回っている奈良公園のすぐ隣だというのに、境内は驚くほど清々しく保たれている。
千三百年続く世界遺産を、日々静かに守り続けている人々の行き届いた美意識と努力。そんな日常の小さな奇跡に、私は深く心を打たれていた。
……しかし、この日の奈良は過酷なほどの猛暑だった。
広大な境内を歩き続けた私の喉は、すでにカラカラの限界を迎えている。
自動販売機を見かけるたびに吸い寄せられ、水を買おうとするのだが、その度に妻から待ったがかかる。
「ホテルのラウンジに行けば、フリードリンクが飲めるんだから我慢して」
その言葉を信じ、私はひたすら固唾をのみ込んで耐え続けた。
「あと少しだ……ホテルまであと少し……」
まるで猛暑の砂漠をさまよう旅人のように、自分を励まし励まし歩き続ける。
◇
そして、ようやくたどり着いたホテル。
無事にチェックインを済ませ、吸い込まれるようにラウンジへ案内された。
「……やっと、冷たい飲み物に逢える……」
感極まる私の手に、そっと差し出された一杯。
――ジョア。
そのキンキンに冷えた甘酸っぱいひとくちは、その時の私にとって、どんな最高級のヴィンテージワインよりもありがたく、五臓六腑に染み渡る極上の一杯だった。
……だが、この時の私はまだ知らなかったのだ。
本当の試練は、この日の夜、更なる空腹を抱えて彷徨う「夕食探し」から始まることを。
No.8 家族旅行記 商店街はどこ?
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